Jan23,2018

Reunion in Hokkaido

自転車が好き。サイクリングが好き。そして何より旅が好き。 次はどこへ行こう? そう考えるだけでワクワクがとまりません。 峠越えに温泉に美味しいごはん。 忙しく暮らしていると忘れがちな、小さな気づきに溢れる旅。 それを叶えてくれるのが自転車なのです。 北米・シアトルと東京の2拠点で活動しているこの数年。 日本を離れている時間が増えたせいか、 この国の美しさがよりいっそう実感できるようになりました。 今回出かけたのは、学生時代からの友人が家族で住んでいる北海道・宗谷郡。 ずっと訪ねたいと思いながら早いく年。 東京&シアトルの2拠点生活を送る今、次はいつチャンスが訪れるかわかりません。 この期に、そして本格的な冬が訪れるまえに、どうしても訪ねておきたかったのです。 プランニングには、国土地理院発行の5万分の1地形図とツーリングマップルを併用 一緒に出かけたのは親友のYくん。 東京でランチをしているときに共通の友人Kちゃんと会いたいねという話で盛り上がって、 日本最北端のまち、稚内で待ち合わせをするというプランが あれよあれよという間に決まりました。 Kちゃんにメールを送ると、程なくして 「いいよー! 大歓迎。いつでも遊びにおいで」 こういうとき、古くからの友人となら、 あーしたい、こーしたいと主張できるから気楽なものです。 せっかく友人のKちゃんの家を訪ねるのだから、 まわり道をしてサイクリングをしていこう。 Yくんも北海道に自転車を持ってきてくれることになりました。 仕事の都合で友人は最終の飛行機と深夜バスを使って稚内へアプローチ。 だから私は一人、空路で稚内に前泊をすることに。 オーストリッチの軽量輪行バッグを使用。通関手続きのない国内線はトラブルに遭遇する率が低い 集合は朝の8時。稚内の道端で。 学生のころ、よく使っていたテクニック(?)です。 「○○の交差点の近くにいるよ」 そんなメールが朝早く友人から届きました。 朝食を済ませたあと、指定の交差点へと向かいます。 北海道宗谷郡稚内市。 東京からおよそ1000km離れたこの場所で…… 「あー。久しぶり! おはよう!」 この気軽さがたまりません。 自転車っていいなぁ。友達っていいなぁ。 オロロンラインを南下して抜海を目指す。今にも雨が降りだしそうな曇り空 初日は、オロロンラインを経由して内陸の豊富へ。 石油の香りがする真っ黒の源泉が有名な豊富温泉のある町です。 学生の頃は通り過ぎてしまったこの温泉に、どうしても入ってみたかった。 曇り空。数分後、豪雨に見舞われることに 道中、突然の豪雨に見舞われて、 レインギアを着込む余裕もなかったから、ほんの数分で全身びっしょり。 まさかこんなに降るなんて! もちろん写真を撮る間も無く、 大慌てで抜海駅に駆け込み、ひと休み。 北海道・宗谷本線の抜海駅。映画「南極物語」(1983)...
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Jan13,2018

Visit Orcas Island

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Jan6,2018

Lyli Herse 1928 - 2018

8度のフレンチ・チャンピオン(ロードレース)に輝き、 1950年代から60年代にかけてまさに“リリーの時代”とも言える、 一時代を築き上げた女性サイクリストであるリリー・エルス。 彼女の訃報が昨日、私たちのもとに届きました。 1958年フレンチ・チャンピオンシップにて 1月6日はリリーの90歳のバースデー。 そのお祝いのためのブログを用意して、 お祝いのメッセージを送ろうと話していた矢先のこと。 2018年1月4日、89歳でした。 昨年の夏に訪ねたときは、とても元気だったのに。 にわかには信じがたいです。 1949年ポリー・デ・シャントルー。ロベール・プレスタとタンデムで記録を樹立 1940年代のコンクール・マシン、 ポリー・デ・シャントルーのヒルクライム・レース。 そしてフレンチ・チャンピオンでの勝利。 彼女の残した数々の栄光の記録は今後も色褪せることはないでしょう。   1960年代のルネ・エルス工房とルネ・エルス。デモンタプル自転車のプロトタイプとともに 彼女が駆った自転車はフランスの自転車史を語るうえで欠かすことのできない、 優れたフレームビルダーであった父のルネ・エルスの手によるものでした。 父親の主宰するルネ・エルス工房のショーウインドーには、 いつだって彼女の記録が誇らしげに掲げられていたと言います。 1966年パリ・ブレスト・パリにて。リリー・エルス(左奥)、ルネ・エルス(左手前)。 この年のファーステスト・ライダーとともに そんなリリーは1967年に選手を引退。 引退後はチーム・ルネ・エルスのサポートや選手育成にも尽力し、 教え子でもあるジュヌビエブ・ガンビヨンを世界チャンピオンに導くなど、 指導者としても活躍しました。 ポリー・デ・シャントルーやパリ・ブレスト・パリで 数々の記録を残したチーム・ルネ・エルス。 チームの傍らにはいつだってルネ・エルス、そして彼女がいました。 チーム・ルネ・エルスのサポートをしていたころ、 ライダーを待つあいだ、刺繍や編み物をしていたというリリー。 彼女の自宅には今もたくさんの刺繍が飾られています。 これまで日本では紹介される機会の少なかった、 フランスのツーリング自転車史の背景に隠された才能溢れる親娘の物語。 そして、フランスの女性サイクリスト史に名を残すレジェンド。 きっと彼女は大勢のサイクリストにとって、 あまりにも眩しく、美しく、強く、近寄りがたい存在だったに違いありません。 だから、初めて会ったとき、 自転車の話だけではなく、刺繍や愛犬の話、庭の花々の話を楽しそうに語ってくれる リリーのチャーミングな笑顔に驚き、よりいっそう魅了されました。 花が好きだと話したら帰り際に、 庭の花を手早く摘んで、ブーケをプレゼントしてくれたリリー。 ああ、なんて素敵な女性なのだろう。 そんな風に感じたのが昨日のことのようです。 もっとたくさん、お話を伺いたかった。 もっとたくさんの時間を共有したかった。 彼女が着ているお手製のニットは、袖を外してノースリーブとしても楽しめる2Way仕様。 手づくりの才能もあったリリーは、チームメイトのためにセーターを編むことも少なくなかったのだとか リリーはまさに、憧れの女性。 そんな彼女がもういないということが今はまだ信じられません。 今日はリリーの90歳の誕生日。 この日をともに祝うことができなかったことが悲しい。 けれど、きっとリリーは私たちのなかで生き続けるのだと思います。 友人たちとの会話の中でふと、思い出しました。 1月4日は、彼女が敬愛していた父・ルネ・エルスの誕生日。 もしかしたら、リリーはこの日を選んだのかもしれません。 この事実が彼女の友人たちの心を、ほんの少しだけれど、 和らげてくれたように思います。 彼女に想いを馳せて。 ご冥福をお祈りします。 Merci,...
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