Philosophy





車のスピードでは速すぎるし、歩くのでは移動距離に物足りなさが残ってしまう。私に採って「ちょうどいい情報量」で旅することができるツール、それが自転車でした。私にとってサイクリングは、“知ること、考えること、受け止めること”。サイクリングの合間に出合う小さな気づきが、私の日々の暮らしをいっそう豊かにしてくれています。記憶に残る旅をするなら自転車で。気がついたら、私のライフワークになっていました。

峠越えの魅力


かつて峠は、文化・政治・歴史・流通・生活、あらゆる意味での境界線でした。峠を越えれば、新しい暮らしや文化、景色に出合うことができる。峠を越えて新しい文化がもたらされたこともあったろうし、戦に若者を送り出すこともあったでしょう。信仰のために峠を越えた巡礼者もいれば、峠を越えて隣町に嫁入りし、二度とふるさとの地を踏むことのなかった女性だっているはずです。大なり小なり、何かしらの人間ドラマを見守ってきた峠道を行くとき、先人たちが何か語りかけてくれているような、そんな気持ちになります。

たとえば、日本の峠道には土地の方が据えたであろう石仏がそこかしこにあります。それは、かつて事故のあった少し危険な場所だったり、集落から集落へのおおよその距離を伝えるものだったりします。だから私は峠道に佇む石仏に出合うと、「お気をつけて」「ようこそ」「あと少し、がんばって」と、かつて人馬で越えていた時代の人たちからの声をかけられている、そんな温かな気持ちになります。峠越えサイクリングで出合う風景には、本来の人間の営みの姿が隠されているような気がするのです。

峠道は、人の往来のために生まれた道。高く険しく見える峠も、実は自然と人の暮らしが寄り添う形で通っているものです。そして、その役目を終えた道は自然へと還っていく。だからこそ道さえ残っていれば、いつかは越えられる。ゆっくりのんびり自分のペースで走れば、結果はついてくる。それも峠道の魅力だと思います。峠道は必ずしも「頑張れば報われる」わけではない人生ほど、険しくはないのです。

たとえば、峠の登りでは、自分のペースを守ってのんびりと走ります。すると、自然、歴史、そして、かつてそこに暮らした人々の息づかいを感じ、無意識のうちに自分自身と向き合っていることに気づきます。峠の降りでは走りに集中します。ペダルはほとんどまわしません。日ごろ文系を気取っている私だけれど、重心移動を楽しみながらワインディングロードを降るのは気分爽快。峠道は登りと降りで味わう感覚のコントラストが鮮やか。それもまた魅力です。

そして、境界線である峠を挟んだこちら側とあちら側では、時としてまったく異なる景色が広がっています。峠越えには、思いもよらない新たな世界との出合いがあるからやめられません。


温泉サイクリング

何より、大好きなもの。それが温泉! 日本に暮らしていて、温泉をゴールにしないサイクリングなんて、考えられない! というぐらい好きです。アクセスしにくい場所にある温泉も、サイクリストにとっては魅力的な目的地となります。1日走った後は、気持ちと身体をリラックスさせたいもの。湯船につかったあの瞬間。この「ご褒美」があるから、ちょっぴり大変でも頑張れちゃう。自転車ツーリングと温泉の相性は抜群なのです。

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