Meet Team René Herse 2017


この記事は、2017年に執筆したものです。当時のまま、掲載します。

2017年の夏、再びリリーのお宅におじゃましてきました。
往年のチーム・ルネ・エルスの面々も駆けつけてくれましたよ。


写真を見てお気づきの方もおられると思いますが、
ピーター・ワイグルも一緒に訪問(写真左手前)。
ピーターのフランス訪問記は、バイシクル・クオータリーvol.61に掲載されていますので、
ぜひチェックしてみてくださいね。


「最近どう?」「あなたのRené Herseの調子はどう?」
なんて話で盛り上がっています。

2度目の訪問ということもあって、
私もいろいろとサイクリングのお話を伺うことができました。

「1930年代〜40年代。サイクリストだけが自分の力で遠くまで出かけることができたの。
週末になると200kmほど離れた町までちょっと買い物に出かけたの。自転車でね」
なんて、食料や物資が手に入りにくかった
戦時中・後、自転車が貴重な交通手段だった当時の話も。


チームの一員、デミリは1966年のパリ・ブレスト・パリを44時間21分で走り抜いた
サイクリスト(なんと、その年のファーステスト!)。

当時のパリ・ブレスト・パリは今とは少しコースも違ったそうですが、
それでも1200kmという長距離であることに変わりありません。
それを平均時速27.1km/h(休憩込み)で駆け抜けたというから驚きです。
各チェックポイントでの休憩は5分程度。腰をおろすなんてとんでもない。
クルマのボンネットがランチのテーブルになり、その場で補給してまた走りだす。
休憩? そんなものは走り終えてからだ! というノリだったそう。

もちろん当時も、完走を目的としたサイクリストは多く、
デミリのように、自分だけでなくバイクの限界をも試す走り方をするのは、
ひとにぎりのサイクリストだったそうです。

彼のようなサイクリストは、
フランスのフレームビルダーとチームを組んで数々のレースやブルベを走りました。
彼らの実走から得た情報は、ハンドメイド自転車の
新たな可能性を探る手だてとなったはずです。
そう。彼らは、1930年代から70年代のフランスにおける
ハンドメイド自転車の黄金時代を支えた影の功労者なのです。

フレームビルダーであるルネ・エルスの功績だけに目がいきがちですが、
ライダーの存在なくしてフランスのハンドメイド自転車の歴史を語ることはできない。
そのことを実感する今日このごろです。

写真手前のライダーがデミリ、1966年のパリ・ブレスト・パリにて。ちなみに写真後方に写る短髪の女性がリリー。『The Golden Age of Handbuilt Bicycles』より。Copyright(c) 2009 Jan Heine ※著者の許可を得たうえで掲載しています。

と、そんなわけで、ここぞとばかりに私の長年の素朴な疑問(?)、
なんでパリ・ブレスト・パリを走ろうと思ったのかを聞いてみました。デミリいわく……

「あの頃は、パリ・ブレスト・パリといえばサイクリストの憧れの的だった。
だから、みんな“いつかはパリ・ブレスト・パリ”って思って走ってたのさ。
何も変わったことじゃない。そういう時代だった。
で、ただ走るだけじゃ面白くないだろ? 走るなら、トップを目指さなきゃね」。

簡単そうに言うけれど、有言実行できる人はそうそういません。
優れたサイクリストがいて、素晴らしい自転車があって初めて成し得る記録。
彼の樹立した44時間21分という記録は、十数年破られることがなかったそうです。

そんなデミリはタンデム(男性×男性)のカテゴリーでも
パリ・ブレスト・パリを走っています。

せっかくなので当時、タンデムがどんな位置付けだったのか、改めて聞いてみると……
「まずは、自分が乗れるサイズのタンデムを見つける。
見つかったら、フレームサイズにあったストーカー(後側の席のライダー)を探して、
“俺とタンデムで走らないか?”って、誘うんだ。あとはトレーニングあるのみ!」と。
おお、これまた格好いい答え。もちろん、誘われることもあったのだとか。

ちなみに、日本ではカップルのためのものというイメージが強いタンデムですが、
当時はサイクリスト同士の夫婦でもタンデムだけは
“絶対にこの人”という別のパートナーがいたというケースも少なくなかったのだとか。

ペダルストロークも含めて、ライディングスタイルが違うとタンデムは苦痛。
しかも走れるサイクリストほど、走りに妥協ができない。
そんな事情もあって、気の合うタンデム・パートナーが貴重だったのだそうです。

私のなかでは、“カップルがお互いをフォローしあいながら楽しくのんびり走る”
というイメージが強かったタンデム。それは、ある一面でしかなかったのですね。
視野を広く持たなくちゃ、と、ちょっと反省。


そんな自転車の話には興味がなーいとばかりに、
ソファでくつろぐリリーの愛犬・ディック。
今日もゴキゲンです。相変わらず、かわいい〜。いつも遊んでくれてありがとう
(このあとも、一緒に遊んでもらいました)。


ホームトレーナーで走ることが日課のリリー。2017年もガンガン走っています。
そんなリリーから、「あなたも乗ってみたら?」と誘われて、
今日は私もホームトレーナーに挑戦。っていうか、これって固定なんですね。

固定車に慣れていない私。とにかく脚がついていきません。
その横で「もっともっと!」と、ノセるリリー。
久しぶりに息が切れたけど、楽しかった!



これからルネ・エルス・タンデムでフランスのアルプスへ、
サイクリングに出かけるのだと話をすると「楽しんできてちょうだいね!」と、
リリーは笑顔で私たちを送り出してくれました。



リリーと別れた後、私たちはフランスのアルプス・ベルコー地域を
1週間ぐらいかけてのんびりと走ってきました。
初めてのタンデム・ライドはとても新鮮で、ソロで走るのとは全く違って。
想像以上に面白かった。
この記憶は残しておきたい! そして、タンデムに興味を持ってもらえたら嬉しいな……
というわけで、バイシクル・クオータリー62号に記事も寄稿しました。


そうそう。壁に掛けられた刺しゅうを見つめていたときのこと。

「(8度のフレンチ・チャンピオンに輝いて)レースを引退した後は
チーム・ルネ・エルスのサポートをしていたの。
レースの間はいつも、刺しゅうをしながらライダーの帰りを待っていたのよ」
とリリーが懐かしそうに教えてくれました。

あ。なんだかいいな、その感じ。
鮮明に浮かんだレース会場のイメージに、胸が熱くなりました。

やっぱり、私にとってリリーは憧れの女性。
そんな風に思った2017年の訪問でした。

2018年1月 追記:
2018年1月4日ルネ・エルスの誕生日に、リリーはその89年の生涯を閉じました。
今はただ悲しいけれど、たくさんの方とリリーとの思い出を共有することができたなら、
きっと彼女も喜んでくれるんじゃないかと思っています。

愛犬のディックは、リリーの友人が引き取り育ててくれることになりました。

LINK: Lyli Herse 1928-2018
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